ロード ペーサー。 マツダ車だけどマツダ車じゃない!? 激レアなロータリー車「ロードペーサーAP」

ロードペーサー

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超高級車を販売するための営業的なノウハウが不十分だったのですね。 その結果、ルーチェがマツダの最高級グレードとして位置づけられるようになり、ロードペーサーの生産は打ち切りとあります。 しかし、日産やトヨタほどに高級車に対するノウハウの蓄積ができていない状況でした。 元より、当時のマツダは以上の多気筒レシプロエンジンを製造しておらず、いすゞのようにホールデンHJのエンジン を流用しない限り、手持ちエンジンとしては額面上最強となるロータリーエンジンを使わざるを得なかったことも一面であった。 そこで、三菱自動車といすゞ自動車は、外国メーカーとの提携関係を活かし、日本と同じである製を輸入し、に適合するよう最小限の改造(当時日本で認可されていなかったをにするなど)を施した上で、自社系で販売した。 マツダのアイデンティティでもあるロータリーエンジンを搭載したが、実はボディはオーストラリアの自動車メーカー、ホールデンのHJプレミアのものをそのまま流用していた。

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ロードバイクの練習方法であるカーペーサー練習とTT練習とはどういった...

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今回はそんなマツダの迷車を今一度振り返る。 簡単に記すと、当時の東洋工業がオーストラリアのGMホールデンから輸入したボディに、マツダ製エンジン(ロータリー&レシプロ)を搭載したプレステージサルーンである。 生産台数は1975~77年の3年間で800台(在庫販売は1979年まで)。 そのような大きく重いモデルのボディに、軽量高回転だが低回転域のトルクが薄く、も良くないロータリーエンジンを搭載しても、自動変速機のでトルク増大 を図ったところでなお実用上の動力性能が甚だしく不足し、しかも燃費は非常に悪くなったのである。 carsguide. 写真の5人乗り(フロントセパレートシート)のほかに6人乗り(フロントベンチシート)があった。

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マツダ・ロードペーサーとは

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そして、本来その車体に搭載されていたエンジンは、4. そして、ロードペーサーが大型車であるために、ダンディのモデルは、49分の1スケールという、なんとも中途半端な縮尺になってしまった。 ただ、いかにロータリーエンジンが優秀とはいっても、大型車のボディを引っ張るには力不足で、無理をしているから燃費もよくなかった。 これに搭載されるエンジンは、ルーチェAPグランツーリスモ用をやや中低速重視にチューンし直した13B型2ローター・ロータリーエンジン。 一方である一定の影響は残しながらも、残念ながら商業的には成功と言い難い結果を残すこととなった「迷車」も存在する。 当時のマツダは、トヨタ・日産に次ぐ国内第三位の自動車メーカーであり、トヨタや日産のようなフルラインナップ体制を整えたいという願望を持っていました。

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マツダ ロードペーサー (1975

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法的無鉛化実施は1975年、蒸気機関車SLが曳く列車が日本から消えた年である。 フラッグシップ マツダ・ロードペーサー 当時、フルラインメーカーを目指していたマツダが、トヨタ・センチュリーや日産プレジデントのようなフラッグシップモデルとして1975年に投入したのがロードペーサーだった。 マツダもまた大型高級車の開発を目論んだ。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]. 当時日豪間でプロジェクトに携わった人の無念さがしのばれる。 以降は1979年まで在庫車の新車販売が行われたに留まった。

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マツダ車だけどマツダ車じゃない!? 激レアなロータリー車「ロードペーサーAP」

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魔法の練習 ペーサー練といって車の後ろに付いて走行し空気抵抗の少ない中で走行速度を上げるトレーニングです。 それが「マツダ・ロードペーサーAP」だった。 当然、「割高感」を感じる人が多かったようです。 3Lエンジンを引き合いに出し、「僅か3分の1の排気量でほぼ同等の出力を発揮し、かつ遥かに軽量コンパクトである点は、ロータリーエンジンならではのメリット」であるとアピールし、胸を張りました。 しかし、出力こそ劣らないものの高回転型のロータリーエンジンとフラッグシップモデルとの相性は決して良いとは言えず、徐々に人気は低迷。 出発して最初のペーサー練区間。

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マツダ・ロードペーサー

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3 L、それ以上のグレードは4. なかには小型ボンネット・トラックのプロシードにこれを積んだ対米輸出専用の"ロータリーピックアップ"や、"パークウェイロータリー26"という26人乗りの小型バスといった異色のモデルもあったが、今回取り上げたこのロードペーサーAPもそのうちの1台である。 マツダ・ロードペーサー これはフラッグシップセダン用の新規ボディを開発する費用を抑えるための手法であった。 全くの白紙のような状態で超高級車を開発するだけの資金力はありません。 8月 - 一部変更(セーフティーパネルの設置、間欠ワイパー、トランクオープナーの追加、コンビネーションスイッチの採用、ボディー色の追加)。 こうして誕生したのがロードペーサーであった。 その後継車種として91年に登場したのがクロノスだった。

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